ハリスおばさん

いつもと変わらない朝だった。
新しく入った図書を抱えて、患者図書室のあるエレベーターホールに降り立った。
鍵のかかった患者図書室の前でひとりの女性がたっていた。
「すみません。お待たせしました。」
そう言いながらも内心、困ったな〜。
2005年にオープンした患者図書室は、常駐の職員はおらず、ボランティアさんにお願いしていた。今日の当番であるボランティアさんから急用で休みたいとの連絡があり、臨時で休室。
私が配架する間だけならという事をお話して利用してもらう事にした。
書架に向かっている私の背中で、その人は静かだった。
気になりながらも、配架をすませ振り向き、「何かお手伝いしましょうか?」と声をかけた。
喫煙室を転用した患者図書室のため、思うようなスペースがとれず、資料も充分でないのは百も承知。ただ、医学図書室の資料や検索データベースを駆使して、レファレンスで応えようと決めていた。利用者の目に見えている以上のものを提供する心づもりはあった。
「みんな何処へ行くんでしょう」
聞けばご家族の病状が思わしくないとの事。その頃、私自身も夫の両親、大事にしていた人、仲の良かった友人を相次いで喪い、同じような思いを抱えていた。
『立派なお坊さん、あるいは高名な哲学者、誰でもいいから私に教えて。みんな何処へいったの?』と。
なかなか戻らない私を心配して医学図書室から電話が来るくらいの時間、彼女の話に耳を傾けていた。
院内のサポートチームに連絡をとり、相談してもらうこと。また、彼女が病院を出るまでの間に、文献を用意することを約束して別れた。文献を提供する時、余計なお世話かもと思ったが、医学書以外の本を1冊薦めた。やはりすぐには読めなかったが、落ち着いた時に開いてくれたらしい。
その後、奇跡は起こらなかったが、彼女は今、患者図書室のボランティアをしている。

虎の門病院 真下美津子)