司書という仕事

司書に憧れるようになったのは、高校の図書室での司書教諭との出会いが始まりだった。
子供の頃から本は好きだったが、私は「文学少女」の域には到達せず、周囲の個性的な友人達からの影響を受けやすい、中途半端なただの本好きな少女だった。
そんな私にとって、図書室はいごこちのいい知識の宝庫であり、新しい世界への扉を約束してくれる場所だった。
司書という仕事を知ってから、毎日多くの本に囲まれて過ごすその夢のような職に就くことが将来の大きな目標になった。
しかし、司書資格を得ても、その職に就くことは難しく・・・。無駄な思案をしているうちに、私はめでたく就職浪人となった。
厳しい現実を知ったというのに、次に私は性懲りもなく、出版社で編集者になることを夢見るようになる。
会社勤めを軽んじてはいないが、その頃の私はかたちに残る仕事、人に見せることができる仕事に就くことを強く望んだ。
紆余曲折の就活を経て、小さな出版社へ念願の就職をするが、情けないことに1年も経たず、個人経営の密度の濃さに根を上げてしまった。
だが、幸いにも間もなく、実用書を扱う出版社に雇用される。
そこで私は、編集の仕事を身につけるため、「出向」と称して、半年ほど取引先の編集プロダクションへ放り込まれることになった。
当時、関わった体験のいくつかを今も活かす機会があるのはそのおかげだ。
それから、長い時間といくつもの会社を経て、私はようやく少女の頃に夢見た司書の、今の仕事に辿り着く。
病院勤務の経験も病院図書室の情報もなく、現在の図書室を見せられた時、
公共・大学・専門図書館のどの施設とも比較にならない規模の小ささに私は失望した。
しかし、仕事を始め、他の図書室の状況がわかるようになって、やっと、自分がいい環境にあることを知る。
1人の職場は孤独だ。
病院図書室にはしっかりサポートする部署も上司も実質いない状況だった。それは今も変わらない。
生来、1人が苦手な私が、前任者がすでに退職し引き継ぎもない状態で、初めて司書という仕事を始めることになった。
何もかもが初めてで、手探り状態。残された仕事の痕跡と薄っぺらな引き継ぎ書が頼り。 
そして、面接時に図書室に案内され、英文の雑誌や書籍の存在を危惧した私の問いかけに、「医学や医療の知識がなくても大丈夫」と請け合った上司を何度恨めしく思ったか。
今でもありがたく、深く感謝しているのは、文献貸借で問い合わせをした際、何もわからず心細かった私に、JHLAの方々が時間を割き、電話やメールで丁寧に病院図書室の仕事を教えてくれたことだ。
1人で行う仕事であっても、どこかでたぶん多くの人と繋がっているものだ。
編集者は多様なプロフェッショナルからなるチームの総力をまとめて一冊の「本」を創り上げるのが仕事だ。病院図書室司書の私も、チームの一員としてもっとサポートしていきたいと願う。

この春で病院図書室の勤務も8年目を迎えたが、外に出る勇気が足らず、直接刺激を受けずに効率の悪い仕事をしている気がする。
一歩踏み出して、切磋琢磨し、活躍している同職の方々に触れ、自分が受けるべき多くの叱咤を受け、知識を得なければ。
自らも学び、実行しなければという思いを強くする。私はいつも動く前の考える時間が長い。
まだ先になるかもしれないが、重い腰を上げて、静かに歩き出し、皆様と手を取って、まっすぐ駆け出せるよう、まずは準備運動から始めようと思う。
(さつきめい)


週末に満開になった当院の桜。