新人司書の頃

 私事ですが、38年間病院図書室勤務をして、この3月で定年を迎えました。
 思い返すと、4年生になってから、大学の就職課の窓口に掲示してある求人票を見て、東京都と神奈川県の図書館司書、企業の資料室、銀行などせっせと受けたものでした。
 当時、四大卒の女子はあまり就職口がなかったのです(今の大学生もとんでもなく大変な時代ですが)。やっと神奈川県に採用され、配属されたのが県立こども医療センターだったのは、偶然なのか、運命なのか、不思議な気持ちがします。就職活動と同じころ、父が胃がんで入院したこと、自分の専攻が児童学科だったのが、こども病院に結びついたのかもしれません。
 入ってみたら、職員は自分一人で、医局の隣の小さな部屋が「図書室」でした。隣の敷地には県立看護専門学院がありました。学院の司書のSさんが一年間の兼務で私の教育係をしてくれました。Sさんはそのあと県立看護教育大学校(県立保健福祉大学の前身)の立ち上げに尽力されました。
 Sさんの提案で、同期のTさん(高等看護学院図書室勤務)と3人で4月下旬に築地の国立がんセンターと表参道にあった日本看護協会図書室に見学に行きました。同じメンバーで7月に慶応の医学情報センターと、関東逓信病院(NTT東日本関東病院)に行き、さらに11月には東京女子医大の図書館と聖路加国際病院医学図書室にも見学に行きました。2年後に新棟が建ち図書室が移転するので、東京の立派な図書室を見に行くことがゆるされたのです。新人だったので怖いもの知らず、あちこちに出かけて、たくさんの先輩にお世話になりました。そんなことから、幸運にも病図研(JHLAの前身)の設立メンバーに入れてもらいました。
 まずは東京と神奈川の病院図書室の実態調査を行い、1976年3月6日に病院図書室研究会の設立総会がおこなわれました。これまで病図研で知り合った司書の方たちから、いろんなことを学ばせてもらいました。そしてあっという間の38年。「もし病院図書室に行かなかったら」「もし病図研に出会わなかったら」どんなだったでしょうか?

 最近、森谷明子さんの「れんげ野原のまんなかで」(創元推理文庫)を読みました。
『新人司書の文子がこの春から配属されたのは、のんびりのどかな秋葉図書館』という紹介文に惹かれたのがきっかけです。同じ名前だけれど、この文子さんは本が大好きな先輩司書二人から新人教育を受け、公共図書館で充実した社会人生活をスタートさせています。理想的なあゆみで、私とは全然違いますが、でもまあいいか。病院図書室も面白く、やりがいのある職場でした。さらに患者図書室「池波文庫」を作り、20周年を迎えました。とても幸せなことだと思います。あと一年、非常勤で後輩を育てることになりましたので、皆様どうぞよろしくお願いします。
神奈川県立こども医療センター図書室 山口文子